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もくじ
あなたは何ひとつ悪くなかった、本当に悪くなかったのです
毒親と生きて幸せになった人はいません。
自身を省みる姿勢が消滅した毒親は子どもの人生を破壊し破滅させ、間接的に命を奪っても全く気にしていません。それどころか次の獲物を狙っているくらいです。
未熟の完全たる肯定をし続ける毒親に子どもは殺されます。
たった一度の人生を奪われないために「今」から気づくべきことを中心に紹介させて頂きます
血縁関係をこえて毒親から解放される人生へ
血縁関係は差別意識です。
そして、毒親は血縁関係に強く執着する存在です。
現在は、多くの方が感じているように【血縁関係を重視しただけの、心の交流がない人間関係】は、とても息苦しいモノがあります。
血のつながりを理由に離れられない関係を続けている限り、人として本質的なモノを失って生きているということです。
人の幸せにおいて大事な関係は、血縁関係ではなく心と心の交流です。
血縁関係は表面だけを整えた、形だけの人間関係です。
心と心の関係は「本当に愛しあっているのか?」という本質がためされる関係です。
もちろん血縁関係があり、しかもお互いに心と心が通じあっているのであれば素晴らしいことです。
しかし、気があわないにもかかわらず「親だから、兄弟だから、親戚だから」と我慢をして、無理やり自分の気持ちを曲げて標準な関係を続けている人がほとんどです。
我慢を続けて人間関係をたもっても、将来は不調和になるだけです。
なぜなら、時間や精神的エネルギー、お金など、大切な人生に集中して費やす行動ができないからです。
血縁関係を気にして一生懸命に我慢したさきが、「なにも自分を幸せにする事実がなかった」と悟れる人はあまりいません。それが普通だからです。
しかし、この「誰しもが体験する血縁関係の問題」に真実のメスをいれれば、人生を無駄にしてきた過酷な事実に気がつくはずです。
しつこいようですが、血縁関係は差別意識です。この「愛からとても離れている価値観」をもっているという問題を、幸せになりたい人は強く認識する必要があるのです。
毒親が血縁関係に執着するのは他の存在から分離した意識、つまり差別意識を強くもっているからです。もちろん、毒親は素直に認めることはありません。
差別意識の根底にある心理は「自分たちさえ良ければ、、、」です。
たとえばお墓の話です。お墓は高額なため、誰でも買える物ではありません。買えない人はお骨を埋葬したいと思ったとき、とても困った状況になります。
そのとき、「自分のお墓に入っても良いよ」と思える人が、差別意識のない人です。
「血縁関係ではないから入れられない」と思う人が、差別意識を強くもっている人です。
前者は、世界と分離している人。
後者は、世界と調和している人です。
はたしてどちらが幸せな人生をおくれるでしょうか?
差別意識は他の存在にたいして、無関心の心理を生じさせます。「自分たちの世界以外は気にしない」から。
しかし、ひとつの会社から商品を買うことが戦争の支援になる問題、台所から合成洗剤を流せば海は汚される問題を考えれば、無関心は自分の首を絞めている未熟な心理といえます。
血縁関係を重視することで毒親は安全と盲信している世界をつくり、そのなかで本質的には「自分たちさえ安全で幸せであれば良い」という未熟な精神性で、自分の欲求や価値観にもとづいた行動を人生で実行し続けるのです。
この生き方は人生を破壊し、このような考えを改めない毒親が家庭に存在している限り、家族を破滅に導くのです。
(これは本当にヤバイですよ。私はたくさん目の当たりにしてきた家庭崩壊の原因です。)
毒親の被害をうけている人は、気づかなければなりません。
血縁関係に執着する毒親の心理は「自分たちだけ」でしたが、さらに深層心理までつきつめると「自分だけが良ければいい」という価値観が眠っているからです。
血縁関係を気にする毒親はわが子の心を見ていません。見えていない自分を直視するよりも「見えているだろう自分」のほうが「自分さえ良ければいい」という狭い世界が脅かされる危険がないからです。
血縁を放棄し真剣に愛しあう関係に全力をつくしたときのみ、本当の関係になれるのです。本当の関係以外で人が愛し合うことはあり得ません。
血縁関係ではなく、器と未熟さを試される心の関係を「今」から求める人が、毒親問題から解放されるのです。
毒親からの支配はあなた以外、解決できない
依存関係とは、学問的に証明できる側面と、証明できない側面があります。
毒親の被害を受けている人が気づかなければならないこと、それは毒親に育てられ社会にでて困っている人は、例外なく強固な依存関係が完成しているという事実です。
人は、なかなか自分が依存している事実に気がつきません。
しかし依存に気づかない状態で放置し続けると、人生が全く進まない状態におちいってしまうのです。
依存は自分の弱さや未熟さを隠す作用があるからです。そして人生において、大切なやるべきこと、大切でやりたいことを実践する日常から、安易な楽しさを追求する行動や義務を放棄した行動をとりやすくなるのです。
毒親との依存関係を断ち切るのは、精神的に非常に過酷な負担を強いられる可能性が高いのです。
なぜなら毒親は、徹底的にわが子の自信を奪い、過度な劣等感をあたえる存在だからです。それだけではなく「あなたはあなたのまま生きてはいけない」という深刻な罪悪感まで持たせます。
言葉でいえば、自己評価の低さ・劣等感・罪悪感の解放は簡単です。
しかし、生まれたころから不誠実な人間に支配され、劣等感や罪悪感などの強い心理を背負わされた存在は奴隷と言えるでしょう。
ではなぜ、奴隷のように搾取されながら生き続け、苦しい人生になったのか?
それは生まれたときからズルイ人間に、「あなたは、奴隷である」という罪の意識を徹底的にすりこまれたからです。
生まれたときから罪悪感をもたされた人は、生きているだけで自己を否定し続ける心理に苦しめられその結果、本来もっているはずの自己の力を出せません。
また毒親との依存関係を断ち切るとは、奴隷がご主人に関係を切ると宣言するのと同じ意味になるのです。
奴隷が生まれながらにして主人に依存しざるを得ない関係をつくられた点は、毒親に育てられた子どもと酷似しています。
本来の人生を取り戻したい気持ちが奴隷に芽生えると、自由を渇望し将来の希望を求めるようになります。しかし希望と同時に感じるのは、主人と関係を断ち切るには「徹底的に自信を奪われて生きてきた自分・新しい世界への恐怖でいっぱいの自分」で行わなければならないという修羅場ともいえる難題です。
ひとつ良い点があるとすれば奴隷の人たちとは違い、毒親との依存関係を終わらすために命までは必要ないというメリットです。ただその点以外は相当の覚悟をする必要があります。
先述した学問的な依存関係からいえば、契約書をわたして親子関係を切ると書面を交換すれば良いだけです。(そのような法的手続きはありません)しかし学問的な側面では解決できない、目に見えない依存関係の克服は至難を極めます。
この見えない依存関係は、たとえ毒親が亡くなっても続いてしまうのです。この状況が、学問的に解決できないと判断した話になります。亡くなっても離れていても目に見えない依存関係が毒親とつながっている限り、人は快活な人生をおくることができないのです。
つまり心が奴隷のまま生きている人にとっては深刻な事実ですが、自分が亡くなるまで奴隷の心理を甘んじて受けいれているということです。
毒親がもう側にいないのに、心を支配されている状況は悲惨としかいえません。
しかし、この毒親との見えない依存関係を断ち切るのは、やはり自分しかいないのです。
とても重要な問題は、毒親と依存関係をつなげているのか気づくのは自分・毒親との見えない強力な依存関係を断ち切るのも自分。すべて自分の意思と覚悟をもって断ち切る必要があると強く認識する気持ちが重要なのです。
毒親と依存関係を終わらせ、直接・間接的な支配を拒否する方法
- 「毒親との依存関係はすべて自分の責任で終わらせる」と覚悟をする。
- 依存関係を放置した場合、本当の人生を失ってしまうというリスクを考える、そして感じる。
- 依存関係は人の力を去勢し、大切な人を守ることができなくなると知る。
- 常に誰かを盲目的に必要としている自分は利用されても仕方がないと認知する。
- 暴力ではなく可能な限り暴言もつかわず、毒親との対決を拒否しない。
(戦う覚悟がない人を毒親は一瞬で見抜き、ほくそ笑むのです。) - たった一度の人生です。本当にやりたいことを明確にし、「誰にも邪魔されない」と覚悟をもつ。
- 罪悪感や劣等感は、修羅場ともいえる人と人との対決をこえたとき、必ず克服できると知る。
(人との対決は怖いかもしれません。うまく運ばせようとは考えず、逃げなければ良いのです。ただし暴力は絶対に逃げなければなりません。この点は絶対に許してはいけません。) - 依存関係を求める人は、人格障害をもっている人と認識する。
- 長期戦を覚悟する。諦めなければ依存関係は必ず終わらせることができます。
- 独りで生きれる(精神的にも)人生が始まったときが、本当の人生と知る。
(なににも依らない自分を発見したとき、自然な笑顔があふれるのです。)
依存している人は「自分の人生は自分で満足させなければならない」という基本がスッポリ抜けています。なぜならご主人が常に精神的に存在しているからです。
しかし自分の人生の主人は、死ぬまで自分です。
この問題を強く体感できるとき、毒親の支配と依存は終わります。
依存がなくなれば、絶対に幸せになれるのか?という問いはナンセンスです。
ただ依存関係がなくなれば、あなたが出会った大切な人を守ることが必ずできます。依存がなくならなければ守れません。
毒親の価値観で自分を否定してはいけない理由
毒親は、子どもが自分自身の存在を否定するようにコントロールします。
無意識に自分を否定する子どもは、常に「自分っておかしいのかな?」と自己を疑う心理に苦しむのです。しかし、本来であれば自分の存在にたいして疑う必要など一切ありません。
改める・反省とは、自分の存在の否定ではなく、自分の問題点の見直しと改善を促すことで得られる前向きな変化です。
毒親のコロコロ変わる不誠実な価値観を子どもが真にうけ、一つ一つの言動で自分を否定し続けていれば、精神的に病んでしまうのは当然です。
自己を否定している人が、健全な心を保てるわけがないのです。
「あなたはおかしい」というメッセージを言葉や表情、雰囲気で圧迫された子どもは自分の素直な感情に自信がもてません。存在を否定している自己から生じた気持ちだからです。
自分の気持ちを受けいれられない、自信がもてない人がどう人生を楽しく生きれるのでしょうか?
そして自分の感情に自信がもてない人は、ズルイ人間に簡単にだまされます。「自分がおかしい」と疑う気持ちを患っていれば、どんなに人間性の低い人の要求をも受けいれていまうからです。
本当はなにもおかしいことなど、この世界にはないのです。
正しいことがあるとすれば、世界でたった一人しか存在していない自分のなかから生じた素直な気持ちです。
どんなに「自分っておかしいのかな?」と思っても、その感情や考え方を誰かの価値観により疑ってはいけません。
自分が感じたことが、自分の世界にとっては正しいことです。自信をもってください。
「あなたはおかしい」と不誠実に伝えてくる人間は、あなたの自己評価を下げることで利用しようとします。誠実な人間であれば、相手が大切だからこそ問題点の指摘、改善点の提案を促します。
しかし「最終的に是正するのか? しないのか? を決めるのは、あなた次第」という最大限に相手を尊重する姿勢をとるものです。
毒親になんていわれようと、雰囲気で価値観を押しつけられても、自分の感情を無視してはいけません。
自分の本音を手放してしまった人は魂の抜け殻状態になり、人生を手放し、完全に利用される人間に陥ってしまうからです。
そして「おかしい」のではなく「改善できる部分があるだけ」と疑問自体を昇華させることも大切なのです。
自分が嫌いと感じたら、嫌いで良いのです。「嫌いなのはおかしい」という外の声に耳を貸す必要など一切ありません。自分が殺したいと思ったら、殺したいで良いのです。自殺したいと思ったら、自殺したいで良いのです。
それほど心理的に追いつめられていなければ、殺したいや自殺したいなど思ったり、かんじてしまうものです。今までずーっと苦しい人生をがんばってきた過去があるから、深刻な感情を持つにいたったのです。
どんな感情でも大切な自分から生じた愛しい気持ちです。一度、受けいれなければ幸せな人生は始りません。
殺したい、自殺したいという感情でも他人にあーだこーだ言われる筋合いはありません。すべて無視しても良いのです。
自分の感情を受けいれたとき、自分という存在が明らかになります。それは自己を尊重し始めているということです。
そのとき、実は殺したいという気持ちは
「その相手と離れる人生を渇望している気持ち」
そして、自殺したいという気持ちは
「もう一度、生まれ変わって幸せな人生にしたい気持ち」
であることに気がつきます。つまり感情は希望なのです。
どんな感情でも否定する必要はなく、素直に耳をかたむけることで、本質的な自分の欲求に気づくことができるのです。
しかし毒親や偏見をもった大人に「あなたはおかしい」と迫られ、自分も「おかしいのかな?」と存在自体を疑い続けた先は、自殺したい・殺したいと感じることすらできない精神状態にまで陥ってしまいます。
毒親に育てられた子どもが魂の抜け殻状態になるのは、存在と感情を徹底的に否定されたからです。
毒親を相手にする必要はありません。
最後に
毒親の本性を見つめること。
よく見れば、毒親はすべてに恐れをもっているだけの存在であることが理解できます。
恐れを抱いている人間は弱い存在に無関心です。つまり愛がない状態で生きているのです。
愛のない人に愛を求めるのは断念し、自分を愛する道へ進むこと。
それが、毒親問題を解放させる重要なポイントになることは間違いありません。
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