【No37 自己愛が甘い話と聞こえる人。】
2019年12月27日
人間が幸せになるためには自己愛がとても大切です。
ただ「自己愛が大切」と苦しんでいる人が聞いたとき理想論にしか感じないはずです。
(もし仮に僕自身がなにもわからず究極的に苦しんでいるときに「自己愛が大切だよ」といわれたら、憤りを感じます)
自分を好きになる、自分自身を大切にする、そして自分を愛する、これらの言葉にたいして「意味は理解できるけど、人生の難しい現実的な問題にはほとんど役立たない」そう感じるわけです。
自己愛はとても体の良い言葉です。
抽象的なので「なんとでもいえる」からです。
しかし、そう表面的は感じる・判断したとしても自己愛は基本中の基本になります。
なぜなら自分を感じる癖がないと、自分の人生に起きる難しい問題、現実的な苦しみ(病気やお金、人間関係など)にたいして無関心(他人事)になってしまうからです。
人生は自分に起きる問題を一つずつ解放しなければなりません。
そして解放後は前よりもさらなる幸福を得ている必要もあります。
現実的な問題の対処は弱かろうが、病気であろうが、苦しみの渦中であろうが、すべて自分の力を出し切って克服する姿勢が求められます。
このときに自分を憎んでいたり恨んでいたり嫌いだったりすると、意識が自分自身にむけられなくなってしまいます。
愛の反対である無関心になるのです。
無関心を患っていると自分の人生の大切な問題が起きているにもかかわらず、他人事のように対応してしまうのです。
これは人生の破滅を意味しています。
ただ自己愛を真剣に会得しようとすると、意識(感情・精神力・感性)を自然と自分自身に向けようとする働きが生まれます。
大きな問題が起きたとき、自己無関心な人は最後の最後まで他者の責任を追及して終わってしまいます。(自己無関心=他者の人生に没する意味)
しかし自己愛(自己関心)がある人は、自分がもっている意識を自分の体と心に集中し、感性をもちいて現実的な対処を試みます。(もちろん段階により紆余曲折はするでしょう)
自己愛があると、自分はなにを感じているのか?自分はどうしたいのか?自分のやるべきことはなにか?この問題を乗りこえた先に自分はどんな未来を手に入れているのか?
他者ではなく「自分自身」にすべてのすべてを集中させられる「キッカケ」がたくさんやってきます。
「自分に集中する」とはイコール自分自身を真剣に愛しているからできることです。
誰も嫌いな奴のために集中などしたくないはずです。(不浄な存在は除き)
自己愛が満たされたあとの「次なる愛」もすでに待っています。
その愛に出会うためにも、自分の人生に起きている苦しい現実を乗りこえるためにも、自己愛は人間の基本中の基本となるのです。
自分のやるべきことが、これ以上無いというほど明確になるからです。
やるべきことが明確になった人を押さえつけられる人生の問題などありません。
カウンセラー本橋良太
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