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こんにちは、カウンセラーの本橋良太です。
今日の「毒親の対処法」は毒親問題を頭から否定する人についてです。
自分が信じていた話の逆説にふれたとき、人の真価は問われます。
「信じたくはない話」を頭ごなしに否定する人が毒親です。
「信じたくはない話」だけれど、まずは尊重して耳を貸そうとする人が大人です。
毒親問題で苦しむ人は親の問題を相談して、さらに深刻な傷を背負ってしまうことがとても多いのです。そのような状況を未然に防ぐために【No7 毒親問題を否定する大人が毒親】を真剣に書かせて頂きました。ぜひ、ご笑覧を頂ければ幸いでございます。
≪No7 毒親問題を否定する大人が毒親≫
2018年7月10日(水)
「育ててくれた親に毒親なんてあまりにも失礼」などの言葉をいっている人が親であれば毒親です。親でない人は強い毒親性をすでにもっています。
なぜなら毒親性の深刻な問題に関心していない・客観的ではないからです。毒親性とは独善・独りよがり・主観的・偏見を意味しています。
自分の世界観を崩される逆説が飛びこんできたとき、非難・否定・無関心・主観的で判断・感情優位になる人はすべて小人です。大人ではないということです。(毒親は小人です。)
大人は今まで信じてきた価値観・情報を覆されるような逆説にふれても、まず一度は尊重してその世界を受けいれようとします。
出来事はあるがまま見つめなければ真実にふれられないからです。
大人(心が成熟した人)は逆説を、非難・否定・無関心で接することはあり得ません。批評はしても主観ですべてを判断はしないのです。もしかしたら「信じたくはない話」のなかに「もっと幸せになれる要素」が入っているかもしれないからです。そして、それは本当のことです。
感情的で直情的なマトモな人は存在しません。怪獣と一緒だからです。
大切な姿勢は「毒親」という自分が今まで信じてきた価値観・観念をひっくり返す話がやってきても、冷静に「どんな話なのか?」と関心を示すことです。
なぜなら自分も毒親である可能性がありますし、完全に不浄な親をしているのに「良い親」と独善な心理に侵されている可能性があるからです。子どもにとって親が独善で生きるほど迷惑なことはありません。
そして毒親がいる・いないはどうでも良いのです。
「自分も毒親性をもっていて、実は子どもを不幸にしているかもしれない?」という客観性が人には必須です。毒親は自分の未熟さに、ツッコミをいれられないのです。
たとえば暴走族にはいり社会で問題行動をおこす人がいるとします。
自分の子どもが暴走族ではない毒親は「どんな育て方をしたのか?」と親や状況を否定して終わります。その問題から自分を省みるという姿勢を欠如しているのです。
自分の子どもが暴走族ではない大人は「自分の子どもは暴走族ではなくて良かった」とまず幸せと感謝を感じます。そして「なぜ、あの子は暴走族にはいったのだろうか?」と否定・非難ではなく状況に関心するのです。大人は独善にならないので「今の幸せ」と「将来の幸せ」にむけて前進できるのです。
毒親と大人の感覚は180度違うのです。
自分の信じたい価値観をくつがえす危険がある情報を丸ごと否定していれば、本当に毒親である可能性があるだけになってしまいます。
毒親問題で苦しむ人は「親に毒親なんて失礼」系の話をする人を相手にする必要はありません。相談をしてもいけません。その人自身も強い毒をもっているからです。
毒親の話を「受けいれられる人」が毒親ではないのです。毒親の話を受けいれない・許せない・非難する・否定する人が毒親なのです。一番の問題は無関心です。毒親の話が目にはいる・耳にはいっても、見てはいない・耳にはいってない状況になってしまう人が一番深刻です。
point【逆説にふれたとき大人or小人かが決まる】
最後までお読み頂き誠にありがとうございました。
カウンセラー本橋良太
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