【No109 冷たい視線に人間の本質をみる。】
2018年10月27日(土)
人の存在に無関心な人の視線ほど、厳しく冷たさが現れているものはありません。
人を人して認知していない、その自分に気づいていない心理から外にでる冷たさは、この世界を不調和にします。
ですので自分自身が献身的であったり、誠実に対応していたり、真心をこめて人に接しても、冷たい視線をあびてしまうこともあるでしょう。
そのとき、誰もが不条理や理不尽を感じてしまうものです。
人は他人の理不尽さをこえられなかったとき、理不尽な自分に同調してバランスをとろうとします。
しかし理不尽な人間性をもってしまえば不幸の道に進むことになってしまいます。
では、こんな状況をむかえた自分をどうすれば良いのか?
誠実な者にたいしての冷たい視線はそれを行う者の所有物と判断するのです。人にたいして真摯に接する人の所有物ではありません。
そして冷たい視線を行う人は外の世界(あなた)を冷たく見ているのではなく、自分自身の存在にたいして冷たい視線をおくっているだけと理解してしまうことです。
自分にあたたかい視線をおくれない人は外の世界(人間やその他の存在)にたいして、心あたたまる視線はできません。
自分に冷たい分、人は外の世界にも冷たくなります。
あたたかさや優しさ、愛がやってきても自分に冷たいので、ポジティブなものとして感応できなかったり、うがって理解したり、違和感として感じたりして終わってしまいます。
自分自身にたいする冷たさは愛を拒否する壁となってしまうからです。
ただ、どう生きるのかは自分次第。
人は100%自由意思をもっています。
誠実な行いにたいして冷たい視線をおくられても気にすることはありません。
そのように生きることで現れる行動のすべてのすべてが本人の所有物であり、自分にとっては、自分が自分を冷たい視線で見ていないのか?という見直す気づきにしかならないからです。
憐れみの気持ちと愛をもって無関心。(不幸で生きるしかない人をありのまま認める気持ちと関わりたくても自分を真剣に愛したいから関われない意識)
どんな人にでも誠実に接する人の大切な自分を守る心がけです。
point【人の本当は瞳に現れる。】
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カウンセラー本橋良太
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