【No37 恐れですべてを見失う毒親たち】
2019年10月14日(月)
毒親問題の解決にとって「恐れ」の克服は不可欠です。
気づいている恐れではなく、気づいていない恐れに着目する必要があるのです。
無意識の心理のなかに存在する恐れを感じたくない・見たくない・知りたくないと、恐れに盲目になっている存在が毒親だからです。
人は無意識の恐れに支配されている存在。
「自分がなにを恐れているのか?」を見ようとする人は大人です。心が成熟しています。
恐れている自分を自覚しようとしない存在が小人であり心が未成熟な人です。
恐れを解決できるものは真実です。
しかし毒親は真実をみようとしません。怖いからです。
真実を見る・体験するほど心が成長していない事実を毒親は気づいているのです。だからこそ子どもの「本当の気持ち」に無関心で接するのです。
毒親は子どもの真実を受けいれられるほど自分は成長していないと内心は気づいています。
真実には幸せの側面・不幸せの側面という二つの側面が必ず存在しています。
たとえば子どもが不登校になるという出来事が起こったとします。
このとき、毒親は世間を恐れているので子どもを否定的に判断する。つまり不幸を感じているのです。
しかし前向きに考えれば、真剣に子どもと向き合うチャンスでもあるはずです。
学校に行っていなのであれば、その時間をつかって二人で食事にいったり遊んだりコミュニケーションを深めるきっかけにもできるわけです。
しかし恐れで心がいっぱいになった毒親は、幸せな側面を判断できません。
自分の頭のなかにある常識・価値観・観念をこえた出来事を必ず拒否するのです。
せっかく子どもが学校を休んで時間がある状況を不運とだけしか判断できないと、後々の人生も明るくはありません。
出来事のなかから幸せを判断する姿勢がない人は文句・悪口しかいわなくなるからです。
恐れをもっている人はすべての出来事が相手の責任と頑なに認識するのです。
真実は恐れでは明らかになりません。
恐れをもっていると出来事のなかにある幸せになれる因子に気づきません。
恐れの克服は自分を内向するしか方法はありません。
自分を見つめるということです。
しかし毒親が最も見つめたくない存在は自分自身なのです。
自分の「真実の姿は子どもである」という問題を受けいれなければ心の成長はないのですが、毒親は恐れでいっぱいなため見れないのです。
カウンセラー本橋良太
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