【No29 人の「善たる何か」】
2020年5月6日
コミュニケーションで悩む人がいます。
人間が人間で苦しむ。
とても悲しく切ない感情であり、すぐに解決できるものでもない。
ただコミュニケーションで悩むということは、自分の心のなかと相手の心のなかに「善たる何か」があると信じているからです。
もし相手の心のなかに悪しか存在していないのであれば、コミュニケーションの問題でずっとは悩めないのだと思うのです。
つまりコミュニケーションで悩めるということは、人の「善たる何か」に希望をもてる人なのだと私は見ています。
確かにコミュニケーションが成立しないことは、とても苦しいし、悲しい気持ちになる。
しかしその一方で自分自身は人の善たる部分を信じたい人間であるという事実にも気づく。
人に悲しいときもあるけれど、人で悔しいこともあるけれど、コミュニケーションで困惑するという人がいなくなったら私は人間関係は終わりなんだと考えています。
人と人との間で苦しんで悲しんで喜んで悔しがって、前向きな姿勢でお互いに生きて、その結果、強い絆ができる。
この絆を考えると、やはり表面的なコミュニケーション能力などはゴミみたいなもので、とにかく実直に泥臭く血生臭く醜くても、人間に困惑しながら絆は創り上げていくものだと思うのです。
自分の想いの「伝え方」は大事だと思う。
相手の想いの「心聴の仕方」も大事だと思う。
それは一つの学問であり技術なのかもしれません。
しかしその技術を求める核心には「相手を最大限、尊重し心から大切にしたい」というものが無ければ死んだ学問・技術になる。私はいつもそう考えています。
カウンセラー本橋良太
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