【No32 「感じない」は心の暴力。】
2020年1月30日
「相手のことを考える」は知識です。
「相手のことを感じる」は愛です。
知識は愛に敵いません。
しかし頭で他人を判断する人はとても多いのが現状です。
世界中探しても、頭で自分を他人から判断して欲しい存在はいません。
まずは自分自身を感じて欲しいのです。
感じる=「あなたのことを認める・受けいれる・許す・尊重する」となるからです。
相手を感じていない自分に気づかない状態で知識や経験にもとづき判断することは、精神的な暴力になります。
相手の存在に無関心という心の暴力です。
この「心の暴力」を気づかず行う大人がいると、そのような子どもが増えていきます。
「心の暴力」がなくならないのは大人の責任なのです。
人間は自分とは利害関係な人にたいしては無関心になる生き物。
しかし相手は確かに存在している存在です。
この世界に無関心で良い対象はありません。
無関心で良い対象とは愛は必要ない存在として扱うことです。
「相手を感じる」は人間としての最低限の話になります。
もちろん幸せになりたい人にとって、です。
感じないで「相手を判断」するとは、自分の主観で一方的に決めるとなってしまいます。
つまり自分勝手。
社会のルール「だけ」で人を裁く、常識「だけ」で人を判断する、学校のルール「だけ」で相手を決める。これはとてもかっこ悪い。
なんでも知識や常識など「だけ」で相手を判断したほうが楽です。
「相手を感じる」はたとえどんなに価値観が違う人であっても、一度は丸ごと受けいれる実践が必要なので、大変だからです。
家庭においても家族を感じる前に、家族を判断・決定してしまう親はとても多いです。
相手が今、なにを感じて、なにを想い、なにをしたいのか?に関心しないで、受けいれようとしないで断罪します。
再三ですが、これは心の暴力です。
親が子どもをまったく感じない大人であったにもかかわらず、子どもが大人になったとき「伴侶を感じる・自分の子どもを感じる」ことができると思いますか?
できないとは言い切れませんが、できない子どもは多いでしょう。
夫婦間において「感じる」ができなければ愛は100%不可能です。
夫婦がお互い感じあっていない関係で幸せな家庭も100%不可能です。
相手を感じあうのは人間の本当に最低限の話であり、もし、幸福になりたいのであれば感じようとするしかありません。
感じるのに知識も勉強も必要ありません。
相手を感じようとする。その毎日が必要なだけなのです。
相手を感じた瞬間、相手を尊重したことになります。
尊重しあう関係によりはじめて絆はつくられていくのです。
もちろん一日で「感じる」はできません。
相手を感じない人生であったのならば、その2倍3倍の感じる意識・時間が必要という覚悟が大切です。
それが心をいれかえる、となるのです。
カウンセラー本橋良太
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