【No25 悪くなくても100%自己責任の答えをだす。】
2019年11月5日(火)
未熟な他人に困る人は少なくありません。
しかし「外の世界で困り果てている状況」は正しいとはいえません。
なぜなら「絶対に変えられない状況」だからです。
人は外の世界を変えられません。
変えられるのは自分だけです。
なにか嫌な問題起きたとき「すべて」相手に責任を求めれば変えられない状況になってしまいます。
しかしすべて自分の責任として考えると「変えられる可能性がある状況」になるのです。
この違いは大きいです。
100%変わらない状況と0.01%でも変えられる可能性がある状況は、180度違います。
「有る」と「無い」は天と地ほどの違いがあるのです。「無い」状況にはなにも賭けられませんが、「有る」状況には人生を賭けられるはずです。
100%相手が悪い状況で迷惑をかけられたとしても、相手に責任を追及している「だけ」だと、同じ過ちを繰り返される危険はゼロにはなりません。
もちろん相手が悪いのであれば社会的な責任は100%背負ってもらわなければなりません。問題は精神界です。
「なぜ悪い問題をあなたは起こされたのか?」です。「なぜ、あなただったのか?」が大きなカギとなるのです。
本当であれば「あなたである必要はなかった」かもしれないのです。
この点に人生をかける気持ちはありませんか?
良いことであれば是が非でも実力は関係なく「あなた」であって欲しかったはずです。嫌な問題であれば是が非でも「あなた」であって欲しくなかったはずです。
完全に不可抗力で被害をこうむる問題も、自分の過失割合を求められる問題だとしても、社会的責任ではなく精神界の責任を100%背負うと、人生がバラ色に変わるのです。
なぜなら自分の外の世界がすべて「変えられる可能性がある状況」になるからです。
ゼロと0.00001は地球が存在するか、しないかほど違った世界。
たとえば夫婦関係。旦那さんが新しいソファーで平然とオナラをしたり、一緒の洗濯機で衣類を洗いたくなかったりするほど冴えない人になってしまったとします。
すべて旦那さんの責任と考えればかなり地獄です。ますます劣化していく未来も予想できます。
このときに精神的に「今のどうしようもない旦那さんの責任を100%自分」として考えるのです。ただ恐ろしく嫌な気持ちになるかもしれません。
しかし精神界で100%責任をとれば「変えられる可能性がある状況」になるため旦那さんがリチャードギア化する可能性があるということです。
旦那さんが冴えなくなってしまった原因を100%、自分の責任として考えたとき、自分がやらなければならないことが魔法をかけられたように気づくようになります。
女性なのに耳毛・鼻毛がボーボーだったから旦那さんは、、、。
下着が完全におばさんだったから旦那さんは、、、。
お弁当に冷凍食品をいれていたらから旦那さんは、、、、。
旦那さんの給料をつかってお友達と悪口大会を開催していたから旦那さんは、、、、。
本当の意味での自己の客観視は精神界で自己責任100%の姿勢がないと得られません。
すべての責任を相手に背負わせているかぎり、理想な将来はやってこない。それがこの世界のルールなのです。
カウンセラー本橋良太
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