【No24 「報われない」は神様のプレゼント。】
2019年10月29日(火)
真面目で誠実であれば幸せになれると思っている人が、そうではない現実に直面して「なぜ報われないの、、、」と悲しみます。
このお話をお店で考えるとわかりやすいのです。
たとえば、あなたがまんじゅう屋さんを経営しているとします。
あなたは材料を完璧なほど安全・高品質にして、毎日、一生懸命作りました。
その結果、味は大手のまんじゅうと比べられないほどおいしくなりました。しかも安全です。
大手は化学調味料を使用して原料もあまりうれしくない国のものです。
あなたは安全で高品質な饅頭まんじゅうをリーズナブルな価格で売るため、手間がかかり毎日とても忙しいです。
しかし結果は惨敗です。大手は質が悪いのに売れまくっています。
あなたは自分が全力で努力している分のリターンがないので「報われない」と思います。
これは買ってくれないお客様に文句をいっているのです。
真面目で誠実で生きているのに「報われない」と悲しんでいる人は、人間・神様・社会に文句をいっているのです。
つまり内の世界ではなく外の世界に意識が向いているということです。
しかしその姿勢では外の世界は変わりません。外の世界はあなたの一存で変わる義務はありません。
ここからが実は人生を変えられるのか?変えられないのか?の勝負どころです。
「報われない」と感じているということは、現状は外の世界にたいして文句をいっているのだけれど、今まで誰よりも全力で生きてきたという証です。
全力で生きなければ絶対に限界はみえません。適当に生きている人はずっと自分の限界を体感することなく人生を終えているのです。後者のほうが哀れです。
「理不尽だな」「報われていないな」と感じたら、心のスランプということです。
幸せの人生に進むためには次元をそろそろ変えなくてはならないという事実が「報われない」を感じさせます。
しかし文句をいっているだけだと次のステップは進めません。
「自分は限界まで努力したからこそ報われないと感じた」とほくそ笑んでください。
神様のテストだからです。文句をいいつづけて「今」の現実にとどまるのか?それとも受けいれて次の大きな幸せのステップに進むのか?
一生懸命つくったまんじゅうが売れないのは「お客様の責任」でも「大手の饅頭屋の責任」でもありません。
自分の責任なのです。
ただ全力を尽くしたからこそ限界をむかえ「報われない」と感じる。それは「今の方向では十分やり切ったから、新しい視点で売ってみないか?」という神様の提案なのです。この神様の提案を出されたときに「報われない」と感じるのです。
諦めたり文句をいったりするのではなく「なにか」を変えるタイミングに入ったと気づけば良いのです。
もしかしたらお店のそばまで来ないと饅頭屋なのかお客様はわからないのかもしれない。車で通りすぎたらわからないのかもしれない。
もしかしたら安全なまんじゅうであることをお客様は知らないのかもしれない。
お客様は本当は寄ってみたいのに「なにか」の理由があって、お店に入れないのかもしれない。
商品をつくるときは真心です。しかし商品を売るときは「買いたい」と気持ちが動いてくれないと財布をあけてくれません。
どんなに良い質でも感動しないと人は買いません。
たとえば道を歩くとコーヒーのいい香りがします。お店を見ると、凄くセンスの良い雰囲気があるのです。ここまでは入りたい気持ちになりますが、喫茶店なのか?コーヒー豆を売っているだけなのか?わかりません。3秒悩んでお客様はお店の前を通りすぎてしまいました。
このときお客様はコーヒーを飲みたかったのです。この問題をお客様の責任にしている人が「報われない」と悲しんでいる人なのです。
神様はお店の前に段ボールに書いたものでも良いから「お店で飲めます」と書いて欲しいのです。「報われない」と感じたら、神様の提案が届いていると理解した人から報われていくのです。
カウンセラー本橋良太
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