【No35 自分の世界観をおしつける毒親たち。】
2019年10月7日(月)
子どもに関わっていない存在が毒親です。
毒親は自分が子どもと関わっていない事実に気がついていません。
関わるとは相手を知ろうとする姿勢でコミュニケーションを求めることです。
しかし毒親は子どもを知ろうとしていません。
関心しない状態で接しているということは、子どもが関心ではなくただの興味の対象になっているだけなのです。
人を深く理解しようとしない存在が毒親であり未熟な存在なのです。
たとえば人殺しをする人がいます。
毒親は人を殺す人は悪い人といって終わります。
しかし、これで終わってよいわけがありません。
その人には殺さなければならない理由が必ずあったからです。
これを知ろうとする姿勢が関心なのです。
関心とは相手の「受けいれたくない性格・認めたくはない部分・許せない考え」などを乗りこえて人間関係を構築する意味になります。
いくら愛されたいと願っても自我を内省する意思のない関心では不可能なのです。
それは相手がただの興味の対象となっているだけだからです。
関わりあいにおいて自分の世界観を押しつけたり自我をけずる姿勢がなかったりする人が無関心な人。つまり毒親の存在になります。
人間関係は自分の都合の良い世界観をもっていると必ず失敗します。
相手も自分の世界観を必ずもっているからです。
自分の世界と相手の世界を融合させる意識がコミュニケーションの始まりです。
「私の意見はこうですから」と相手の世界観に無関心な姿勢では絆は100%生まれません。
ここに毒親問題の核があります。
「私」の世界観に内省がない、客観性がないとただの独裁者になるのです。
反転して考えれば本当の自分に自信がないため毒親は独裁的になり子どもに無関心になり支配を強めていきます。
結果、毒親自身が不幸になっているのです。子どもも気づかなければ毒親の不幸な人生にまきこまれていきます。
心の共感・共有がなければ人間関係は健全化も向上もしません。
心の共感・共有がない人生は孤立を意味しているのです。
毒親は自分の世界観を押しつけることで自ら孤立する人生にしています。
本当は自分の価値観・世界観など捨ててしまっても良いのです。
「まず相手を受けいれる姿勢」がないと相手も「まずはあなたを受けいれる」という状況にならないからです。
関わりあいを真剣に見つめる人が大人。
関わりあいを真剣に見つめない存在が小人であり毒親なのです。
カウンセラー本橋良太
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