【No30 明日を恐れて今日を無駄にする毒親。】
2019年9月17日(火)
毒親は「明日」があると勘違いしています。
本当は明日などないのです。
本当は今日がずっと続いているだけです。
明日が存在していると勘違いしている毒親は、未知なる明日に強い恐れを感じます。
表面は威張っていても自分の力のなさを無意識に痛感しているため「わからない」もの恐れます。
人間の人生は「わからない」ものに挑戦して向上して生きねばならないのです。
「わかるもの」で生きつづけた人間が成長することはないからです。
成長しなければ愛は大きくも深くもなっていきません。
毒親は未知なるものにたいしての挑戦を拒否します。
すべて「わかるもの」を行動していきたい欲求をもっているので成長しません。
だから常識が大好きです。
社会から評価されたり認知されたりする人生を求めます。
社会から認められていないと毒親は恐怖を感じます。
その恐怖を感じないために子どもという犠牲を求めるのです。
常識は人間の総和です。実体ではありません。
実体がないものが「この価値観・要求を受けいれてくれれば、あなたに人生の安定をお約束いたします」といってくれることはあり得ません。
常識からの要求はいつも抽象的です。
具体的に求められることはないので毒親は全方向で常識を恐れなければなりません。
いつ・どこで・なにを社会や常識から「自分の苦手なもの」を求められるのか?と一生おびえなければなりません。
ただ恐れている心理状態はあまりにも苦しいため「苦手なものを求められたとき」のために子どもに依存し、依存させます。
依存関係を構築していれば、未知なる大きな問題がやってきたとき自分の人生を子どもに背負わせることができるからです。
常識は実体がないもの。社会のルールはそのときの時代にあわせてコロコロ変わる抽象的なものと考えて悟って、「明日はない」と腹をくくり、自分が成長すれば良いだけなのです。
心が成長し成熟すれば、どんな社会になっても不誠実な常識が蔓延しても真実の力があるためネガティブな影響を受けずに済むからです。
しかし毒親は未知なる明日を恐れて「今日」の成長を意識しません。
だからずっと恐れていて子どもを奴隷にしたくてたまらなくなるのです。
カウンセラー本橋良太
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