【No395 幸せの一歩は必ず自己関心。】
2019年8月14日(水)
自分と仲良くなければ誰とも仲良くなれません。
このことを意識して世の中に出ると、興味深い人間関係をみます。
電車などに乗ると、二人の若い女性が「一見」楽しそうに話している状況などに出会います。
ただよく見て、良く感じていると実は若い女性たちは話し「合って」いないのです。
二人は心の交流が無い状態で各々、自分が外にだしたい思い言葉を発しているのです。
つまり一緒にいるようで実は一人で話しているのと同じ状態。
簡単にいうと電信柱にむかって話しているのと同じです。
ただ、指摘しても彼女らは「お互いに話している」と主張するはずです。
しかし自分のいいたいことを相手に共感・共有されていない状態で話すのはコミュニケーションではありません。
相手が自分を関心しているのか?感じてくれているのか?想いを共有する意思をもっているのか?を無視して幸せな人間関係は不可能。
絆は成立できません。
「自分に関心しているのか?」問題を無視して一方的に話すのは相手が「その相手である必要性はない」と認めている証です。壁でも電信柱でも良いのです。
この問題は老若男女で発生しています。
この二人の問題点は「自己関心」の欠如です。
人間は自分に関心しないと誰の想いも関心・共感・共有ができません。
その結果、孤立します。
孤立している人は不幸を克服することも、依存体質を防ぐこともできません。
現代では誰かと一緒にいて孤立していないように想っていても、事実を判断すれば完全に孤立している人は少なくないのです。
自分も見ていなので誰も見れなくなってしまうのです。
これは非常に危険な状態です。
ロボットと同じ状態になってしまうからです。
残酷な事実もあります。
幼いころから親や大人が子どもに無関心(世間的にはそうは判断されない状態もふくみ)な状態で生きていれば、100%に近く、人間は自分に「関心しないのが当たり前の状態」になります。
気づけないのです。誰も「本当の意味」では見てくれた「感」がなかったから。
これが人間関係でまったく幸せになれていない人の原因です。
対処はシンプルです。
自分が今、なにを感じているのか?知ろうとする癖をもつことです。
これは自分の人生の操縦席から離れないことにもなります。
そうです。
多くの人は気づかない間に自己無関心になり人生の操縦席から離れています。
これが、、どれほど危険な状態を意味するのかはかり知れません。
たとえば自己無関心は依存体質をつくるといいました。
依存体質な人がガンになったとき、どうするでしょうか?
白衣を着ているだけでお医者さんを盲信してしまい、抗がん剤をうたれて亡くなったりたくさんのお金をはらったりします。
世界的にみれば抗がん剤に効果がない研究が進んでいるのだけど、依存体質の人は「常識によって定義されていること」にしがみつき、最悪な結果をむかえます。
また幸せの問題や精神的な問題は、現在では精神科、カウンセラー、占い師、宗教などの必要性を感じる人もいます。
確かに真剣に勉強をしている方もそのなかにはいるでしょう。
ただ世の中、本物はいつだって少ないです。
ましてや心に関わる仕事をしている人に依存など、もってのほかです。
なぜなら人間は生きるのに誰かがいつも必要なんてことはあり得ないからです。
ですので、人間関係の本当の幸せを得たいと思ったら、
自分が感じていることを知ろうとしてください。
不快なら、なぜ不快なのか?自分の答えをだしてください。
愉快なら、なぜ愉快なのか?回答をだしてください。
自分を感じて自分をわかろうとする姿勢が自己関心です。
自己関心にお金は必要ありません。0円できます。
心の問題も体の問題も、、不幸も自己関心を無視して乗りこえることはできません。
カウンセラー本橋良太
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