【No377 幸せの王道。】
2019年7月27日(土)
幸せになりたいと思っても、自分の欲の根源に気づかなければ、手に入りません。
なぜなら欲は人や物事を「あるがまま」見せないようにしてしまうからです。
人間が自分の欲に気づいていないと、自分のすべてにたいして「正当化」しかできません。
正当化は無意味なものです。
たとえば「自分は親として子どもに衣食住を提供しているから愛しているんだ」と思っている親がいるとします。
もちろん愛しているからこそできることでもあるでしょう。
ただ本当に大切な姿勢は「自分は子どもに衣食住を提供しているから愛していると思っている・感じているが真実の意味において、本当に自分は子どもを真剣に愛しているのだろうか?」と内向することです。
正当化をする人は自分に都合の悪い部分を無視・無関心で捨ててしまい、正しさを主張します。これだと現実が進まない。つまり幸せになれないのです。
親として子どもを愛している「感」は子どもの幸せではなく、自分が幸福な人間である証なだけです。
つまり子どもが自分自身の感覚で「親から愛されている感」を獲得していなければ、親の正当化は家庭環境のなかでは100%害悪になるということです。
「子どもを愛している妄想を抱いている親」ほど、子どもの精神を抑圧する存在はありません。
幸せは真実からスタートします。
幸せが虚像から始まるわけがありません。
「本当の自分」は欲を見つめれば次第に明らかになりますが、「本当の自分」は明らかにしたくない人が多いと思います。
本当の欲に気づこうとする姿勢は必ず、今、得ている既得権益を喪失リスクが生じるからです。
と言うと「既得権益を捨てなきゃ幸せになれないの?」という話になります。
はい。既得権益を手離したくない欲をもち、自分よりも立場の弱い人達が苦しんでいる問題を「知ってはいるけど」無関心・無視している人は、あらゆる存在の上に立ってはいけない人間性と判断しています。
既得権益はゴミです。人生をこっぱ微塵に粉砕する甘いワナです。
既得権益を手離せない人は正当化しかできません。自分の欲を見つめないのです。
欲を見つめない=真実を主観的に判断する癖で24時間365日生きる。となるので、すべての世界が「本当ではなくなってしまう」のです。
そのような人は誰かが自分を真剣に愛していても気づきません。
そのような人は誰かが自分を貶めようとしても気づきません。
死ぬまで虚像の世界で生きることになるのです。
どうすれば良いのか?
自分が動いたり反応したりしたときに「なぜ、自分はそうなのか?」と探求する姿勢をもつことです。
知りたくなかった真実を受けいれヒモ解くと、まず半分の幸せが手に入ります。それは、自分の足元で苦しんでいた人にやっと光がさしこみ、希望を与えられるということ。
もう半分はやっかいな未知なる問題です。しかしこの問題にたいして「自分でなんとか、あの手・この手をつかって克服する決意」で対処すると、後々、人生の財産・生きる知恵・心の成長が手に入ります。
そうなると幸せ感が楽しいので、ますます自分を正当化しなくなり真実を探求するようになります。私はこれが幸せの王道だと確信しています。
現実の生活(世を捨てなくても)のなかで誰でも、心のなかで行える実践だからです。
カウンセラー本橋良太
☆お読み頂き誠にありがとうございます☆