【No241 劣等感は究極的にゴミ。】
2019年3月12日(火)
コミュニケーション能力とはそこの雰囲気のなかにある「自分の役割」を認知する力でもあります。
ただ劣等感をひどく患っていると雰囲気のなかにある真実・本当が見えません。どうしても自分の心の傷を映しだした結論で決定したい欲求に支配されてしまうからです。
雰囲気の「本当」が感じられたり見えたりしなければ、周りにいる人たちにたいして正しい行動ができません。
劣等感をもっていると、どうしてもコミュニケーションで「ズレ」が生じて「なぜ、私は人とうまくいかないのだろう?」と悩む結果が多くなるのです。
その悩みが解消されず積み重なっていくと仕事が続かなかったり家庭内が疎ましく感じたりして、健全な生活が遠くなってしまいます。
劣等感は自分の存在自体を疑っている心の病。
自己を否定している状態で外の世界を正しく判断することはできません。
ですのでコミュニケーションでつまづいたら、自分の劣等感を見つめるときです。
ただ劣等感は記憶であり事実ではありません。
本当は幻なのです。
完全にウソです。ウソっぱちです。
未熟な誰か(ほとんどのケースは親です)が「もちなさい」といってきて無垢で純粋なため「もたないといけないのかな?」とそのときうけとっただけのものが劣等感です。
こんな、本当にどうしようもないくらい不要なものに、自己愛や大切な人とのコミュニケーションを壊されたらたまりません。(自分の幸せやわが子を愛する時間、夫婦関係や恋人関係など)
真実は「どんな自分でも偉大な価値がある」だからです。
偉大な自己価値を疑って拒否しても、結局はこの結論に人は戻らざるを得ないのです。であれば最初から「どんなに劣等感をもっていても偉大な価値を信じて生きてみよう。」という心の姿勢をもつ。それが自分を救います。
疑うことも大変です。ただ信じるのも大変です。
どうせ大変です。であれば信じる大変を受けとるほうが得であり徳だと私は考えます。
カウンセラー本橋良太
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