【No240 くだらない毒親問題。】
2019年3月11日(月)
*3.11。目覚めのあまりにも遅さの愚かさ。欲から無関心になってしまう未熟さ。一人でも気づこうとしていれば一つの命は確実に助けられた懺悔を胸に。亡くされた方々に畏敬の念をもって魂の安息をお祈り致します*
毒親問題で苦しむ人が一人でもいてはいけません。
なぜなら、これほど、くだらない問題はないからです。
人生、どのように生きるかは本人の自由です。(被害にあっている方ではなく)
たった一度の人生で毒親になるのか?愛の親になるのか?は本人次第。
たとえば、目の前で老人が倒れました。
助けることもできます。
ただ金品も盗むこともできます。
どのように行動するかは、本人次第。
無辜な子どもがいます。
自分の弱さや恐れを見つめないことで、子どもを搾取の対象する生き方。
子どもをひとりの魂として尊重する生き方。
どちらでも親は選択することができます。
大きな問題は自身の未熟さや人間性の低さ、向上心のなさを棚に上げて世間に「責任をきちんと背負っている」という体を装い、家庭のなかで完全に暴君(顕在・潜在ふくめて)となっている親にふりまわされている事実です。
人生は一度きりです。
自分の人生を幸せにするには多大な時間・精神力・体力・お金が必要です。
そして自分が出会った人たちを本当の意味で幸せにするにも、多大なエネルギーが必須なのです。(人生の伴侶・わが子・友達・仕事など)
毒親にかまっているヒマはありません。
かまえばかまうほど子どもから関心を「まだ得られる」と安閑とするだけだからです。
ただ「くだらない」といわれ表面でそう思おうとしても、毒親の攻撃を受ければ自己評価の程度に比例して心は揺れます。
誰もが毒親問題では冷静になりたいと思います。
その賢明な冷静沈着な心理を手に入れるためであれば、なんでも実践する(考える→行動→結果を分析→また考える)という意識が必須なのです。
毒親に苦しめられている時間は人間には必要ありません。
もうその時代は終わっているからです。
カウンセラー本橋良太
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