【No191 幸せの砂つぶ・不幸の砂つぶ。】
2019年1月18日(金)
子供時代に愛して欲しかった人から愛されなかった人は、自分を愛してくれる人の存在を無意識に渇望します。
この生き方は不幸せの原因になるのです。
愛して欲しい人は愛して欲しい人としか出会えません。
お互いに「欲しい、欲しい」では愛は育まれず、その関係は修羅場ばかりです。ひとつの地獄絵図の関係といっても過言ではないでしょう。
ただ、やはり愛されるべき子供時代に愛されない自分で「どうこの世界を生きていけば良いのか?」「(私」)という存在はそのままで、とうとう愛された実感を知らず、大人として生きてさまざまな責任を背負って生きていかなければならないのか?」
意識はしていなくても深層心理のなかでは、そう思うはずです。
「この心理を抱えたまま、どう幸せになれるのか?」と非常に厳しい状態になってしまうのが、子供時代に愛されなかった人です。
ただ幸せになるためには、まず自分から相手を愛する姿勢が重要であることも、よく理解しているわけです。
挨拶と一緒で、自分が心を開かなければ相手の心は開かない。
心が開かなければ愛しい人間関係は不可能。
頭ではよく理解しているけれど、心の奥では「最も愛されるはずだった時期に、愛して欲しい存在から愛されなかった」苦しみの体感が、相手からの積極的な愛を求める執拗な気持ち・自分から相手を積極的に愛する姿勢を抑制するのです。
この苦しみは悶絶的ですが、、、この意識は不幸をよびます。
では、どうするのか?
それは幸せの因子に気づこうとする姿勢、幸せの因子を大切にする姿勢、不幸の因子を可能なかぎり早く捨ててしまう姿勢が、本当に重要だと思うのです。
一瞬一瞬の自分の意識のなかに存在する幸せの因子(砂つぶのような)に気づき、育てる。
一瞬一瞬の自分の意識のなかに存在する不幸の因子に気づき、捨てる。
「あの人が!この人が!」ではなく自分のなかに、なにか邪な感情を抱いたら、捨てるための工夫を考えて、行動して結果をみる。
ふとした瞬間に自分の器を超えるような奉仕の気持ちに気づいたら「なぜ、自分は今、とても素敵な気持ちになったのだろう?」と自分を見つめてみる。
幸せの因子に気づき、そして育てる。
不幸の因子は早く気づき、そして捨てる。
愛されなかったという悲しみを動機として、悪戯に愛してくれる人の存在を求めると、人生はどんどん暗く濁っていきます。
ただ愛されなかったから「こそ」といわれても、またエネルギーを消費しないといけない部分に辟易する人は少なくありません。
ですので、幸せな因子を集めて、不幸な因子は捨てて、自分をしっかり現実的(夢ではなく妄想ではなく本当のリアル)に幸福にする。
小さな小さな幸せの砂つぶであれば、なんとか手にすることができると私は思うのです。
幸福になれば必ず幸福な人が自分に集まってきます。
その人たちと結ぶ関係が、本当の愛しあう関係だと私は思うのです。
本橋良太
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