【No9 子どもあつかいしかできない親をどうするのか?】
2018年9月28日
子どもを子どもあつかいする親は子どもです。
子どもあつかいを受けて、その大人を尊敬する子どももいません。
大人・子ども関係なく尊重する人が愛をもっている方なのです。
体は子どもでもひとりの立派な魂として接すことができない大人の精神は子どもです。
心が大人になっていないのです。
心が成長していない大人に囲まれた子どもは、自分の存在を尊重されるという経験が非常に乏しくなります。
その結果、自信がない「私」となってしまうのです。
では、自分の親が子どもあつかいしかできないと理解したとき、どうするのか?
ひとつの存在において優劣はないと悟ってしまうことです。
ダンボールもお皿も虫さんも動物も人間も、排水溝のフタも全部、尊重するべき存在なのです。
存在しているものはすべて同じもので出来ています。
あなたは「それ」を知っているはずです。
本来、分離できるものは存在していません。
「私」はすべてとつながっています。
大人・子どもの違いは役割だけです。
役割が違うだけで一緒の存在であり、人間だから人間を理解しやすい同士です。
子どもあつかいする親は子どもとして判断してかまわない。
ただその判断に執着するのではなく、すべては一緒という感性で生きようとする。
15歳であっても115歳であっても人は幸せにならなければなりません。
この世界に存在するもに一切の優劣や違いがないとわかったとき、人は愛で包まれている事実に気がつきます。
point【親の間違った感性はすでに見抜いている。そこからです。】
最後までお読み頂き誠にありがとうございます。
カウンセラー本橋良太