【No48 不幸ならすべてのすべてが意味ない。】
2018年8月25日(土)
幸せは高揚ではありません。「幸せにならなくても良いかな」と思えることが幸せ状態です。
お腹がいっぱいになると満足しているので「もう食べなくて良いや」と思います。幸せはそんな感覚です。
高く濃い喜びやうれしい気持ちというよりも、人生に大きな問題がおきても、へこめない感じ・落ちこめない・悲しめないという感じが幸せなのです。
心のなかに分厚い層のようなものがあり、不幸を吸収してくれているその存在が幸せです。現実が厳しく世間からすれば「とても不安な状況」であっても、幸せになった人は深刻になれません。どうしてもなれないのです。幸せだからです。
深刻に悩みたいのに心のなかにキラキラ・どっしりしている「なにか:幸せ」があるので、気持や思考が下のほうへすすみません。
幸せ状態の人は変な気持や不調和な気持、ネガティブな状態にならないので現実を冷静に直視できます。問題がおきて未来はどうなるのか、まったく未知であるけれど「なんとかなる」という心理が消えないない状態が幸せといえるのです。
そして幸せになった人は「幸せになるためだけに生まれたわけじゃないな」と思ったり「これ以上、幸せにならなくても平気だな」という心理をもったりします。
それはその人が幸せを勝ち取ったからです。不幸であればお腹がグーグー鳴っているのと同じなので、そんな余裕はないわけです。
ただ幸せは心で決まります。物や地位や名誉、現在の世間や社会が「これを手にしたら幸せになれる」と評価されていることで、不幸にはなれても幸せになれることはありません。
どのような心を保つかがカギなのです。どんなに世間の人が憧れる仕事をしていても、お金がたくさんあっても、豪邸に住んでいても、不幸であればすべて無意味。
人生に問題がおきて(国の王様でも人間である以上は必ず人生に問題はおきるのです)感情・運気・思考・行動が不調和なったとき、どこまでも下のほうへと落ちていけるからです。
そして不幸のなかには不安と悩み、一時的な高揚感と肉体の快楽しかはいっていないのです。ここに気づくべきポイントがたくさんあります。
幸せな人は人を幸せにできます。
不幸せな人は人を幸せにはできません。ときに自分の不幸にまきこみます。
人間には自由意思がありますが、幸せにならなければ、すべてのすべてが無意味。それが人間として生まれてきた人の原則なのです。
point【物で幸福になった人は1人もいない。これからも。】
最後までお読み頂き誠にありがとうございます。
本橋良太
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