【No23 愛されなかったという愛しさ。】
2018年7月31日(火)
愛されなかった人は必ず人間関係でつまづきます。
心のなか(潜在意識)では自分の存在を疑っているからです。
自分に疑問を感じたり否定したりしている人は、大切な人を勘違いで非難したり不信に思ったりします。愛されなかった人のコミュニケーションは受難の連続なのです。
自分自身とコミュニケーションがとれていなく、自己信頼が結ばれていないからです。
ただ、だからどうした?というお話なのです。
愛されるべき存在から愛されなかったという人生は極・理不尽です。
やり切れない、悔しい、不条理さを強く体感する人生といえます。
悶絶に悔しい。
しかし愛されなかった人生は「人間の本質」をみたのです。
「人間の確かな理解」は将来の真実の幸せから考えれば絶大なる強みです。
人間の本質をみていない人は成長のポテンシャルが低いのです。
愛されて恵まれて育って「人間の本質」を見ないで生き続けるのか?それとも、愛されず恵まれず育ったけれど「確かに人間の本質」をとらえて、それを活用して生き続けるのか?
どちらかが良いのか?ということです。
実は恵まれた状況で育った人は恵まれていないのです。人間の本質に気づかず心が成長することはないからです。いわゆる温室育ちです。
愛されなかった人は口のなかに食べれない泥をいれられて、その泥のなかから栄養を懸命に吸収しようと必死で生きてきたのです。どんなにまずくても吐き出したくても、それしかないので生きていくためには吸収する以外の方法がありません。
愛された人・愛されなかった人の生きてきた次元は180度違うのです。
愛されなかった愛しさは、本質的に幸せになれる力を強制的に学ばされたということです。
ここに愛されなった理不尽さを超えられる理由があるのです。
本橋良太