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【実録】毒両親から植え付けられた「あなたのままでは価値がありませんよ~」の洗脳からの覚醒

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こんにちは、ブログ更新・カウンセリングの受付など、カウンセリング業の裏方を担当しているもっちーです。

 

わたくし、じつは毒両親育ちでして・・・。

母親はかなり毒性の強い毒親、そして、父親はサイコパス的毒親

 夫の本橋良太も毒母親育ちなので、お互い支え合い、社会に適合できるようにまで回復できました。

自分自身の認識も、【生きてる価値すらない人間】⇒【そのままでも価値のある人間】までは、まだちょっと胸を張って言えないけれど、【私はこのままで良いんだな♪】までは回復していると思っています。

 

そんな毒親育ちの私たちだからこそ、今まさに毒親に苦しめられている方、毒親からの洗脳により大人になっても社会に適合できずに苦しんでいる方のために何かできるのでは? 

 

いや、やらなければならないのでは? 

 

こんだけ苦しんだのだから、世の中で同じように親に苦しめられてる人の役に立たなければならない!!

 

このような思いから始めたカウンセリング業なんですね。

 

そこで、私の両親はすでに他界しているので、体験談とどうやって克服してきたかを稚拙な文章力ではございますが、紹介していこうと思います。

40年の歴史があるので連載になりますね。

 

まっずは、もっちー母はどんな毒親?

 昭和20年生まれ 伯母・伯父・母・叔母 4人兄妹の3番目

祖父は明治、祖母は大正生まれでして、こってこての男尊女卑の家庭だったようです。

 

よく聞かされたのは祖父に

「姉は一番初めの子だからかわいい、兄は長男で跡継ぎだからかわいい、末っ子は親と接する期間が兄妹のなかで一番短いから特別、だから私はどうでもいい子だった・・・」

「お母さん(祖母)とケンカしても、お父さん(祖父)はいつだって、子どもは4人いる、でも俺のかあちゃんは1人しかいないからお前が我慢しろ」

「女は勉強する必要はない! 中学卒業後は働きに出ろ。」

などなど、他にもたくさん不満を言っていました。

もっちー母にとって祖父が毒だったようです。

 

毒親に育てられると、その人自身も将来毒親になる場合がほとんどでして、もっちー母が毒親になってしまったこと事態は仕方がないことだったのですね。

なかなか、自分自身が毒親だと認知できません・・・、だから毒親問題が減らない・・・、むしろ増加していってますね・・・。

 

もっちー母は、とにかく世間の目が怖い人だったのでスパルタ教育でした。

私には5歳上に兄が一人いますが、この兄が勉強好きでリーダータイプの子どもだったため、いつだって比較されて育てられてきました。

 

兄は小学校のころから成績が良く、6年生では生徒会に入り、運動会では生徒代表であいさつをし、中学の定期的に行われた学力テストでは、ほぼ学年1位。悪くても7位ぐらいだった記憶があります。

 

そう、その結果を毎回見せられては

「お兄ちゃんは、こんなに成績が良いのにあんたは・・・」

「なんで、お兄ちゃんみたいにできないの!!」

「小学校上がる前に受けた知能テストで知能指数が良かったんだから、あんたはバカじゃないんだ。成績が悪いのはあんたがだらしないからだ」

などなど、いろいろ言われましたね。だから覚えている訳でして・・・。

小学生ごろから「私はお兄ちゃんじゃない」って訴えてましたが、まったく聞く耳持ってもらえなかったです。

 

そんな勉強好きの兄は、市内で一番の高校へ、そして青山学院大学に進学していきます。

大学は複数受験してましたが、確か青学のほかに明治とか中央あたりも合格していたはず。ちょっと合格した大学は定かではありませんが、母が「勉強しないさい」と兄を叱りつける姿を見ることなくスムーズ卒業し、そして大企業に就職までしましたね。

 

その兄が大企業まで就職までできたのは「すべて私の育て方が良かったから」と母は思っていたはず。

実際に、母から「お母さんは子育てのプロなんだから、学校の成績が悪かったり、反抗ばっかするのはお母さんの責任じゃない!! お前が悪いんだ」って言ってましたから・・・。

このセリフを言われたときは、頭をトンカチで殴られたような衝撃をうけました。たんぶん私が中学生ぐらいだったと思います。

 

その上、兄は母親と似たタイプなので、酷い反抗期はなかったようだからたちが悪い・・・。

なんでもかんでも兄と比べられてたわけですから、そりゃ~「私を見て!!」「私はお兄ちゃんじゃないから、お兄ちゃんみたいになれないよ」と、物心つく前からイヤイヤと反抗していたそうです。

「生まれた時から、ず~と反抗期」と何度もいわれてましたし。

 

母は「高校に行きたかった・・・」と嘆いていたこともあったので、母自身ができなかった分、わが子にはたっぷり勉強させたかったのでしょう。実際にドリルや辞書、塾などはどんどんお金をかけてましたから。

 

「私はお兄ちゃんじゃない」と思っていた反面、「お兄ちゃんの真似事をしたらお母さんに認めてもらえるかも・・・」とも思っていたので、小学生の頃は水泳・そろばん・近所の野球チーム(男の子のみ)で私はソフトボール、中学はバレー部に同じ塾、高校ではテニスをやってきました。

私、スポーツは兄より得意だったので、真似しやすかったんです。

短距離走では、毎年学年で2・3番目ぐらいだったので、運動会や体育祭ではだいたいリレーの選手に選ばたので、その時だけは母に褒められましたよ。

体育祭のリレーは花形ですからね♪ 

なので、体育祭の日は私がメインになる唯一の日でしたよ。

いい思い出もありましたね。

 

ただ、その日以外は? 残念・・・、いい思い出ほとんどないです。

 

長くなりましたが、とにかく兄は母にとって理想の子どもだったんですよ。

性格はおっとりしているけど元気が良くて、勉強好きでリーダータイプ、妹の(私ですね)面倒見が良くて、母の作る食事が大好きだったので、可愛くって仕方がなかったようです。

私はというと、落ち着きがなく衝動的、買い物に一緒に連れて行ってもすぐそばからいなくなる、勉強よりも運動が大好き、リーダー性のかけらもなく、人の話は聞かなくて習い事させても先生の言いつけを守らない、そして偏食児なので何作っても大して食べない。

自分のこと書いてて「この子大変!!」と思ってしまいますが、兄と真逆の性格だったので、母の毒親性を存分に引き出しちゃったんだと思います。

多分、現在だとADHDと診断されてたでしょうね。

実際にADHDの症状を調べてみると、ほとんど当てはまる・・・。

 

息子が5歳ぐらいの時に、夫と3人でスーパーで買い物中「ママ、はぐれちゃだめだからね!」と、よく注意されてましたね(笑)

大人になっても衝動的で多動性が治っていません。ついフラフラしたくなっちゃって気持ちが抑えられないですよね~(。´・ω・)。

 

「大人のADHDですね」なんて診断されそうだし、自分自身も生きずらさを感じてトラブルを招くこともあるけど、自分の愛すべき性格だと受け入れちゃえば「そういうところ私好きよ」と言ってくれる人がいるので、結構楽しく生きています。

 

こんな感じで、ひたすらダメ出しを受けて育ってきたわけですから、自己肯定感なんて育つはずがありません。

 

結婚してからうつ病になるのですが、一番ヒドイ時は「どうやって死のう?」て常に考えていましたよ。

「自分に価値なんてないし、無能な私が生きてて申し訳ないな」なんて本気で思ってましたからね。

 

よくブログで載せてますが、兄弟やいとこなど誰かと比較したり、否定ばかりされて育った子は自己を愛することができません。

大人になって社会に適合できず、うつ病や依存症などの精神疾患にかかりやすくなるのです。

 

一度どん底の精神状態を味わったので

「あ、最近がんばりすぎてるな、ちょっとうつ状態だぞ!? 気を付けないと!!」

こんな感じで、今では自分の心の声が聞こえるのでコントロールしやすくなりました。

 

それに過去が悲惨だったので「なんて幸せなんだ~」って良く思います❤

今、毒親問題なので苦しい状態にいても、克服できたら人より幸せ感は苦しかった分、増量されますよ。

 

今回はこの辺でおらせて頂きますね

🍀最後までご覧頂きありがとうございます🍀

 

 
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