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自分らしく生きるためのエッセンス 11 【やりたいことを我慢し続ける人は、将来不幸になる可能性 大】

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自分の本心が欲求していることを『何かを気にして』外に出さず、悶々と我慢をする状態のまま老後をむかえたとき、人は世の中を憎むようになり、醜い姿になる危険性があります。

自分の欲求を悶々と我慢してしまう人は、その欲求を外に出すことに恐れを抱いてるからです。そして年老いたころには、その外に出せない欲求を世の中に対して憎んだり、恨んだりする気持ちを隠すことができなくなり、顔の表情や雰囲気に露出してきます。

 

この問題の中核は、欲求を「外に出せないから・・・」と諦めているのではなく、「我慢している」という心理です。

体験したいことがあるのにもかかわらず外に出さなければ、いつか人は自己責任から他者責任の追及に生き方がシフトします。他者責任の追及とは、自己責任を捨てて不誠実に世を恨むということ。

 

そして、年をとればとるほど人生の終わりを現実的に感じるため、卑屈さや嫉妬心は憎悪してしまうのです。

このような生き方をしている人は、当然、幸福を感じられることはありません。

むしろ、外の世界に恨み・憎しみ・嫉妬を強く抱いているので、大切な人たちですら不幸の道ずれにしてしまうケースも少なくないのです。

 

 

ある程度の自由や基本的人権が保障されている状況で、自らの欲求を『何かを気にして』我慢して果たさず、実現されなかったことで不幸を感じ、世の中を恨んだとしても、すべての原因はその人自身にあります。

 

自分の欲求は、自分の行動で果たさなければ満足しません。自信がなかろうと、劣等感をかかえてようと、自己評価が低くかろうと、欲求の実現は『必ず自力』から始めなくてはならないことです。 

世の中には、誰も他人の欲求を実現させる義務などないからです。

 

では、欲求をもたなければ良いのでしょうか?

もちろん違います。欲求を諦める必要も、捨てる必要も、我慢する必要もありません。

まずは、大切なことは素直になることです。「自分には心から求めているモノがある」という心理を、素直に認め受けいれるのです。ここがスタートラインです。

 

そして、「欲求がどうすれば果たされるのか?」とアイディアを考えることです。

 

『何かを気にして』欲求を我慢し続ける人の問題は、「どうすれば手に入るのか?」という試行錯誤や工夫さえも考える責任を放棄しているからです。自分が欲しいモノなのに、自分自身で考えなくては、一体誰が考えてくれるのでしょうか?

 

最後は、協力者にたいしてです。欲求には高い確率で協力者が必要になるでしょう。

例えば、子どもが高額なゲーム機本体を買いたくても、親が許さなければ手に入りません。つまり子どものケースでは、親が協力者となります。

 

一番の難関かもしれませんが、協力者にたいして一方的に「欲しいから欲しい」では通用しないでしょう。

大切なことは「自分の欲求と、協力者の幸せをセット」にして話し合うことです。

ただ「車が欲しい」ではなく、車をもつことで協力者を幸せにできる具体的なことを提案します。一緒に夜景を見に行く、遠方のおいしいレストランにいくなど、自分の欲求と相手の幸せを提案し共有することが、欲求をもつ人の責任なのです。

 

もちろん、幸せになることは人として最大の義務なので、その範囲のなかでということになります。(誰かを不幸せにしてしまうような欲求はNG)

『素直に欲求を認める』→『どうすれば手に入るのか考える』→『協力者が必要であれば、実現したときの幸せを共有する』このプロセスを果たさず、悶々と欲求を我慢しつづけて、「自分は不幸だ!」と嘆いていても、不誠実な人間と判断されるだけです。

 

☆最後に☆

世を憎めば憎むほど、不幸へ転落することになります。とくに我慢強い人は、何年も、何十年も我慢し続けてしまうので、歳をとるごとに恨み妬みで酷い姿になっていきます。

 しかし、「やるだけのことは行動した!」という過去があれば、たとえ望みが叶わなかったとしても、やりきった達成感で世の中を恨むことはなくなります。

そうなれば、自己肯定感も上がり、自信もつき、快活に人生を送れるようになり、幸福感を味わえるようになります。

 

皆様が、周りにいらっしゃる大切な人と幸せになれることを祈って

 

ご覧頂きありがとうございます

本橋良太

 

☆注意事項☆

自己実現のための説明ではありません。

この通りに行動しても、手に入らないモノは入りません。

幸せに生きるための哲学です。