人は「反省をしたくないから自身を責める」
なぜか?
答えはシンプルです。責めることは無責任であり、反省は自己責任がないと不可能だから。
そして、反省は義務だらけです。しかし、責めることはただ責めるだけ。 自分を責めてばかりいる人は「楽だから」「反省したくないから」自信を責めるだけしかしないのです。
もし過去、何かしら問題ある現象を起こしたということで、自分を責めている人がいるとします。 その方に責めるのではなく、反省することを勧めてみてください。
「二度と起こさないために、何ができるのか?真剣に考えてみましょう」
「そんなに反省しているのであれば、迷惑をかけた相手に謝りにいきましょう」
こういった感じで促しても、ほとんどの人が拒否します。
なぜなら反省のとは、「問題を受けいれる」「自身の過ちを受けいれる」「問題の責任を考える」 「迷惑をかけた相手にたいして義務を果たす」「二度と問題を起こさないためのこと考えて実践する」 という、大量のエネルギーや人間性を必要とするプロセスをさすからです。
反省は楽ではない作業なのです。 責めることは簡単、文字通り責めるだけ。 本気で反省する気持ちや覚悟がない人は、表面だけ「問題を起こした罪の認識をしている体」 をつくることのみで、本質的に自己を省みる心を拒否します。
また、形だけでも「罪の意識をもっている体」をつくることで、 他者からの関心を得られる、注意をひきつけることができるため表面的に責めている場合も多いのです。
このようなメンタルは、起こした問題に対しての真摯な反省どころか、 他者との立場の優位性を保つための、利用材料としている要素を多分にふくんでいます。
- 問題は起こしてしまったが、真摯に反省する人。
- 問題を起こしたけれども、反省しない人。
- 問題を起こし、反省をしているフリをして自信を責めるだけの人。
- 問題を起こし、自身を責めて、自信を責めることで他者からの注意を奪う人。
人が過ちを犯したのち、ほとんどがこの4っのパターンに当てはまるはずです。
責めるだけの人は幸福になりません。そして責めることで注意をひく人は転落します。
そして、問題を起こしても真摯に反省する力を得たとき、自分にとってネガティブと感じる問題が、 起こらなくなります。
また、「自分を責めるだけで終わりの人生」の人とも、縁が切れることになるでしょう。
自分はもちろん、交際する人に責めるだけの人がいると、人生に雲がかかってしまうので、 今日から責めずに真摯な反省を心にかがげましょう。
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